村上春樹的キャリアコンサルティングに役立つコミュニケーション考察
おはようございます。
日本一書くキャリコン
キャリ魂太郎です。
今日は、みんな(多分)大好き、村上春樹氏のベストセラー「ノルウェイの森」から、コミュニケーションについて考えてみたいと思います。
(ちなみに、村上春樹氏の作品は、「ねじ巻き鳥クロニクル」までしか読んでいませんので、その後の作品については分かりません///)
ノルウェイの森のオープニングから、主人公の渡辺と、ヒロインの直子の会話です。
(前提として、直子は自分自身の精神的な問題について悩んでおり、渡辺はそのことを知っています」)
直子:「ねえ、もしよ、もし私があなたと結婚したとするわよね。あなたは会社につとめるわね。するとあなたが会社に行ってるあいだいったい誰が私を守ってくれるの?
あなたが出張に行っているあいだいったい誰が私を守ってくれるの?私は死ぬまであなたにくっついてまわってるの?
ねえ、そんなの対等じゃないじゃない。そんなの人間関係とも呼べないでしょう?
そしてあなたはいつか私にうんざりするのよ。俺の人生っていったい何だったんだ?この女のおもりをするだけのことなのかって。
私そんなの嫌よ。それでは私の抱えている問題は解決したことにはならないのよ」
渡辺:「これが一生つづくわけじゃないんだ。いつか終る。終ったところで僕らはもう一度考えなおせばいい。これからどうしようかってね。
そのときはあるいは君の方が僕を助けてくれるかもしれない。僕らは収支決算表を睨んで生きているわけじゃない。
もし君が僕を今必要としているなら僕を使えばいいんだ。そうだろ?
どうしてそんなに固く物事を考えるんだよ?
ねえ、もっと肩のカを抜きなよ。肩にカが入ってるから、そんな風に構えて物事を見ちゃうんだ。肩のカを抜けばもっと体が軽くなるよ」
直子:「どうしてそんなこと言うの?どうしてよ?肩のカを抜けば体が軽くなることくらい私にもわかっているわよ。
そんなこと言ってもらったって何の役にも立たないのよ。
ねえ、いい?もし私が今肩の力を抜いたら、私バラバラになっちゃうのよ。私は昔からこういう風にしてしか生きてこなかったし、今でもそういう風にしてしか生きていけないのよ。
一度力を抜いたらもうもとには戻れないのよ。私はバラバラになって――どこかに吹きとばされてしまうのよ。どうしてそれがわからないの?」
僕は、このやり取りを見るたび、とても悲しくなる。
なぜなら僕は直子のことを理解してさえいなかったからだ。
とでも言いたくなるようなやり取りです。
でも、こういうやりとり、実際にもよくあるのではないでしょうか。
自分だけは、相手のことを理解していると思っている。寄り添っていると思っている。
でも、それは実は、相手にとっては(感謝はしているんだけれど)何の役にも立たないどころか却ってより悪化させてしまうような関係であることに気づいていない。
例えば毒親と呼ばれる存在もそうですよね。
自分だけは子どものことを理解している。自分だけが子どものことを理解していると思っている。
だけど、それは子どもの側からすれば害にしかなっていない。
悲しいですね。
「これでいい」と思い込んでいるコミュニケーションを、もう一度見直して見るきっかけになれば幸いです。